周りと比べない。ドラマチックでなくても大丈夫。

JR尾道駅の南口を出ると、川のような海「尾道水道」が目に入る。渡船に乗って、対岸の島「向島(むかいしま)」へ。渡船をおりて10分ほど歩くと、国道317号沿いに、コーヒー豆焙煎・販売店「珈琲豆 ましろ」がある。
 
代表の須山さんは、広島市出身。地元の高校を卒業後、一度は沖縄の大学に進学するも、プロサッカー選手になるという夢を諦められないこともあり、東京の大学に入学し直すことに。しかし、夢はかなわず、そのまま東京で就職。
 
ただ、会社員として生きる息苦しさを払拭できないまま数年が経ち、中途半端な自分自身に苛立ちを感じるようになる。そんな中、以前から抱いていたビジネスを興して自分の力を試してみたいという想いが募ってゆき、新たな挑戦をすることを決意。結婚の予定も合わさり「将来的にも暮らしやすい場所を…」と考え、2017年5月に尾道へ移住。同年12月、「珈琲豆ましろ」をオープンした。

ゲストハウスで自転車を借り、地道にすまい探し

移住先としては、四国や九州も考えたという。
 
「妻は関西出身だったので、『移住をするなら西日本へ』という想いはありました。高松や松山、熊本や長崎など、各地の中心都市も候補にあがりました。」
 
最終的には、これらの都市より経済規模の小さい尾道市を選んだ。
尾道は会社員時代に旅行で訪れたことがあり、その風景や、他の町ではあまり感じない独特な空気感が魅力的で、当時の印象も良かったとのこと。
 
「様々な文化が混じり合い、外部からの人の流れもある尾道に今後の可能性を感じました。すまいは、尾道市内のゲストハウスに滞在しながら自転車で約1か月かけて探しました。」

尾道の里山から島まで、すまいを探してまわった。
 
「物件探しには苦労しました。はじめは『店舗兼住宅で』という希望もありましたが、なかなか思い通りの物件が見つからず、妥協もしながら状況にあわせて柔軟に変えていきました。」
 
不動産業者だけでなく、ゲストハウスのオーナーから個人商店の店主、道端ですれ違う人まで、直接粘り強く聞いて回りながら物件を探す日々。そのおかげで、尾道での知り合いがゼロの状態から少しずつ自力で地域の人々との関係を築くことができた。自転車で100km以上を走り回る日もあった。
 
そんなある日、たまたま道端で尋ねた人に空き家があることを聞き、持ち主を教えてもらった。その空き家の持ち主と直接交渉し、やっと今のすまいを探しあてた。
 
「すまい探しに一番苦労しましたが、いろんな方が手を差し伸べてくださったので、諦めずに動くことができました。たまたまですが良いご縁があり、今ではご近所の方に野菜を頂いたり、町内会行事に参加したりと何かと気にかけて頂いて、夫婦でとても楽しく暮らすことができています。ちなみにその地域に移住者の方はほとんどいないと思います。」

「起業するならコーヒーで」

尾道へ移住後、店舗物件探しにも奔走し、8月にやっと店舗となる物件が見つかった。「起業するならコーヒーで」と、会社員時代から決めていた。
 
「小学生の頃から父親とよく喫茶店に行っていました。当時はただ漫画を読んだり父親と出掛けたりすることが楽しかったのを覚えています。大学生になると、自分でお気に入りのコーヒー豆屋を見つけて、ミルを買い、いろんなコーヒーを楽しむようになりました。実家に帰り豆を挽いていると、自然と家族が集まってきて、和やかな空気になったのを覚えています。決して仲の良い家族とは言えなかったのですが(笑)、コーヒーを淹れる時に家族が一つになる雰囲気が私は好きでした。
皆さんにもそんな幸せな気分を味わってもらいたいと考え、カフェではなく、コーヒー豆の自家焙煎・販売店に決めました。」
 
そんな須山さんだが、実はコーヒー豆の焙煎・販売については未経験だった。
 
会社員時代から独学で焙煎やコーヒーに関する勉強を続け、焙煎したコーヒーを週末のイベントで販売することもしばしばあったという。長期の休みを利用し、海外のコーヒー農園を訪ねたことも。
生豆の生産国業者が集まる展示会への参加や、仕入業者へも積極的にコンタクトするなどコーヒー業界での関係構築を行いながら、向島での起業にこぎつけた。今では少しずつ同業者の知り合いも増えているという。

また、起業するにあたって、場所を選ぶ際に大事にしたことがある。
「商売するならどこがおもしろいか」、「ぽつんとコーヒー豆のお店がある違和感・意外性」を大事にし、店舗の立地は、あえて尾道の中心部を避けた。
 
「ちょうど良い物件が向島にありました。島というイメージと裏腹に、向島は便利で、人も多く住んでいる。また、観光の中心からは少し離れているぶん、試したことへの反応がわかりやすい。どうすればビジネスが良くなるか考える時間がある。地元の方だけでなく、観光のついでにわざわざ来てくださる方が利用しやすいお店を。そして、長く親しみを持ってくださるようなビジネスに育てていきたいと考えました。」

すまいとしての尾道の印象は

移住前、旅行で訪れたことのある観光地・尾道。実際に移住してみて、すまいとしての尾道について尋ねた。
 
「尾道の人は、地元愛がすごいと感じますね。向島の人も向島が大好きですね。一方で観光客の方も多いので、魅力的な場所やお店も多く、エネルギッシュな町だと感じます。暮らす上でも、新たに生み出されていく変化と海や山など四季が感じられる自然の両方が身近にあり、飽きないです。」
 
「向島には、外からやって来た人間を受け入れてくれる土壌があると思います。私自身尾道出身ではありませんが、『向島のお店』ということで応援してくれている方がたくさんいらっしゃるのがわかります。立地は偶然でもありますが、尾道を選び向島にたどり着いたのはありがたかったと思っています。」
 
「向島でお気に入りの場所は、高見山(※)。尾道水道も素敵ですが、高見山から見る瀬戸内独特の海に浮かぶ島々の風景は美しいです。山頂に行く途中、夜はイノシシが多いので注意が必要ですが。いずれは高見山のように、『珈琲豆ましろは、向島を代表する存在。』と言ってもらえるようになりたい。」
 
 
(※標高283m。瀬戸内海国立公園に指定されている。頂上の展望台からは眼下に因島大橋や瀬戸の島々を一望でき、天気の良い日は四国を望むことができる。)

移住を考えている人へ

「周りと比べないことが大事だと思います。」と須山さん。
 
「印象的な人との出会い、土地への深い愛情、ドラマチックなストーリーなど、先輩移住者の体験談に気後れする方もいるかもしれません。私はそうでした(笑)。でも、周りと比べなくてもいいんじゃないかなぁと今は思っています。」
 
元々人付き合いは得意でなかったが、移住し、ビジネスを始めることで自分自身が少しずつ変わってきたという。
 
「移住前にストーリーがなくても大丈夫。自然体でいい。可能性を信じて一歩踏み出す。住んでみて、少しずつストーリーを作ってゆけばいいんです。」
 
可能性を信じて一歩踏み出す。その思い切りの良さ、粘り強さ、変化への柔軟性が大事なのかもしれない。
 
(取材:平成31年1月)