尾道駅がある市街地から伸びる、サイクリストの聖地「しまなみ海道」。瀬戸内の島々を結ぶこの橋で、尾道が誇る3つの島に渡ることができる。
―― 向島(むかいしま)、因島(いんのしま)、生口島(いくちじま)。
「因島は、ほどよくあって、ほどよくない。」
橋本和人さん・明日香さん夫妻は、現在因島の南部、因島田熊(いんのしまたくま)町で新築の一軒家に住んでいる。夫妻に因島の印象を聞くと、夫の和人さんはそう答える。生活に必要なものは揃っていて、ウィンドウショッピングなどの贅沢をする場所はない。それが心地良いという。
橋本さん夫妻が因島に移住したのは、約2年半前。東京・有楽町で開催された因島移住フェスに参加したことがきっかけで、埼玉から移り住んだ。
「フェスに行く前は、移住の“い”の字も考えていませんでした。」
当時、仕事で不運が重なったタイミングだったと言う和人さん。その日は因島出身の歌手・ポルノグラフィティのファンである妻の明日香さんと、因島のグッズを買ってすぐ帰る予定だった。ところが、移住フェスのスタッフに勧められ、そのまま登壇イベントを聞くことに。
「メンタルが弱っていたからか、話を聞いているうちにポルノファンでもない僕の方がガツンとやられてしまって。」
有楽町からの帰路、電車のなかで「移住しようか」と和人さんがつぶやいた。夫の突然な提案に驚いた明日香さんだったが、夫婦で話し合い、まずは因島を見に行くことにした。
実は夫妻が因島に行くのは3回目。安室奈美恵ファンの和人さんが夫妻で大阪コンサートに行ったときに立ち寄ったのと、尾道市のびんご運動公園でポルノグラフィティがライブをしたときにも訪れていた。
「ポルノグラフィティを抜きにしても、住みたいと思えるかを見に行こう。」
訪問3回目にして、初めて地元のひとと話すことができた。因島の南部、土生町(はぶちょう)にある飲食店でのことだった。
温かい島のひとたちとすっかり打ち解け、話は自然と仕事の話に及んだ。和人さんは、かつてしていた車の整備士の経験から因島の製造業の求人を見ていたが、良さそうな会社があったとしても年齢的に難しいことがわかっていた。かといって、前職で疲弊した営業職を再びする気にもなれなかった。
「気になっていた会社の話をしたらマスターが、会社のOBと友達だから話してみたらいい!って、すぐに電話で呼び出してくれたんです。」
店にやって来たOBの方と数時間話すと、翌日会社見学にも行けることになった。
そして会社見学の日からトントン拍子に面接が進み、採用までこぎつけた。二次面接以降からは、和人さんが面接を受けに行くのと並行して明日香さんが家を内覧し、アパートも契約した。
移住後、明日香さんもハローワークに通って就活をはじめた。最初は老人ホームの事務で働いたが環境が合わず転職。島内での仕事探しは難しく、尾道駅のある本土側で、念願叶って前職のスキルを活用できる会社に正社員採用された。
「35~36歳での就活は厳しいなと思いました。でも島外の求人も見たらいまの働きやすい職場に巡り会えました。市街地にある会社なので、車で30分で行けます。」
移住で大変だったことを尋ねると、すぐに出てきたのが住居探しだ。
「因島は家賃と土地が意外と高い。家屋付きの土地にしても解体費用を考えると高くつくし、中古住宅だと2階建てばかりで、子供の居ないわたしたちは持て余してしまいます。平屋も老後を考えると立地的に不便なところが多くて。」
はじめはアパートで過ごしたが、移住して半年後には縁あって家を建てることを決めた。こうして移住して1年というスピードで、新築の家に住みはじめた。
「最初に勤めた老人ホームで、同じく事務をしていた方のご主人がたまたま建築の仕事をされている方で。家を建てるのにいい土地はないですかねと話したら、すぐに土地を紹介してくれたんです。」
と明日香さん。因島はネットや不動産会社に掲載されていない情報が多いため、地元のひとに聞いてみるのも家探しの方法の1つだという。
続いて、移住してからの変化について聞いてみた。
「移住って人生を変えられるすごくいい方法だと思います。夫も仕事で大変だったけれど、新しい生活でガラッと変わって。」
和人さんは、因島の総合機械メーカーで船舶用エンジンをつくる力仕事をはじめてから13キロも減量。定時に帰り、休日も休めるようになったことで心に余裕が生まれ、いままでしてこなかった家事や料理も積極的にするようになったという。
「友達や移住者同士の交流が増えて、人間関係が豊かになりました。SNSで、因島に移住をしたらこんなことができるようになったっていう発信もしているんです。」
そう笑顔で話す和人さん。「食べたい!と思ったものが因島にないなら、自分でつくろう」と思い立ち、料理をするようになったという。それから、と明日香さんも続ける。
「二人でロードバイクを買いました。ポタリングって言うらしくて、散歩感覚で自転車に乗っていろいろなところに行って、美味しいものを食べて帰るんです。」
サイクリストの聖地に住んでいるからこその楽しみも広がっているようだ。
「日頃いいなって思うのは、仕事帰りに因島大橋を渡るとき。帰る時間や季節によって夕日の感じも色も違うし、晴れの日と雨の日で全然因島の顔が違うんですよ。」
明日香さんも、和人さんと同じく因島の生活を楽しんでいるのが伝わってくる。
橋本夫妻は、移住したことをこう振り返る。
「全部タイミング。埼玉に転勤してなかったら因島移住フェスに行っていないし、仕事で疲弊していなかったら移住したいなんて思わなかった。もう少し若くて時間に余裕があったら、因島以外の場所もたくさん見て回っていただろうし。」
それもそのはず、和人さんの因島の第一印象は、「コンビニの多い田舎」。明日香さんも、初めて来たときはポルノファンとして感動したものの、雨だったこともあり聖地巡りだけでは「すぐに見るところが終わってしまった」と感じたという。しかし、実際に住むと因島はいろいろな魅力があってちょうど良いと感じるそうだ。
「島だけど、住むには全然困らない。ECサイトで注文すれば、関東に居た時の+2~3日くらいで届きます。」
「不満は橋代がかかるくらいですが、島に住んでいる以上は受け入れるものだと思っています。島なのに、橋を渡っていろいろなところに行けるのが絶妙だと思うんです。」
最後に、移住を検討している方へのメッセージを聞いてみた。
「楽しいよって言いたいです。移住はちょっとした一歩で実現できる、身近なものだと思って欲しいです。」
と明日香さん。和人さんも軽やかに答える。
「人生一度きりですからね。楽しんだもの勝ちですよ。」