ものをつくりたいひとにとって、呼吸がしやすい場所。

「尾道は、何かものをつくりたいひとには呼吸がしやすい場所かなって思います。」

そう朗らかに答えるのは、去年12月に東京から尾道に移住した山科遼介さん。小説家になる夢を実現するために、現在はライターを本業にしているという。

尾道水道が目の間に佇むシェアオフィス「ONOMICHI SHARE(オノミチシェア)」(※1)を普段の仕事場にしている。

「尾道には、東京では探さないと出会えないようなクリエイターの方がたくさんいます。喫茶店で隣に座った人がそうだった、なんてことも結構ありますよ。一方でサラリーマンの人も不思議なほどマッチしていて、うまくバランスが取れているなと感じています。」

※1 ONOMICHI SHARE(オノミチシェア):尾道市の書庫として利用されていた海辺の倉庫を2015年にリノベーションしオープンしたシェアオフィス。

小説家になる夢が芽生えた大学時代

山科さんが小説家を志すようになったのは、大学生の時。

「中学、高校とあがっていくにつれて、悶々とした時期を支えてくれたのが物語とか小説で。大学も自然と日本文学を選びました。ただ、本を読んでいるとおもしろいなと思う作品もある一方で、つまらないなと思う作品も結構あって。若さゆえの勘違いで、これなら自分の方がうまく書けるんじゃないか?と思ったんです。」

そう思っていた頃、大学で所属したのがユニークなゼミだった。卒業論文の代わりに作品を書いても良いというところで、もちろん山科さんは創作する方を選んだ。そのことが、実際に小説を書きはじめるきっかけになり、また、書くことの楽しさに気づくきっかけにもなったそうだ。

大学卒業後は、親との約束で地元の上場企業に就職。しかし希望していた編集の部門ではなかった。まずは3年、という考えも頭をよぎったものの、組織で働くこと自体が性に合わなかったこともあり、会社を辞めて上京。ライターや編集の仕事を探すことにしたという。

アルバイトを掛け持ちしながらの奮闘の末、東京のある経済紙でフリーランスとして働くことが決まった。
こうして念願だった文章を書く仕事と編集の仕事が両方できるようになった山科さん。そこで落ち着くかと思いきや、ちょうどその頃に起きた生活スタイルの変化が、山科さんを尾道へいざなうことになる。

リモートワークを機に、惹かれていた街へ

「楽しく仕事をしていた頃、徐々に新型コロナウイルス感染症が広まって、ライターとしての取材方法が見直されることになったんです。今まで対面でしていた取材がビデオ電話やメールに切り替わって、それでも意外とできることが分かって。その折に、会社が『社員や業務委託のライターさんに、リモートで行える仕事を振ろうか』と言っているのを耳にして。」

行動派の山科さん。すぐに会社と掛け合い、リモートで仕事をすることで同意を得た。そして、そのときにはもう、尾道が移住先の候補として山科さんの頭の中にあったのだそう。

「母が広島出身で。帰省のときに何度か尾道にも来ていて、そのときからこのまちに惹かれるものを感じていました。山並みに静かな水道、古めかしいまちなみがある風景。
だから、地方でリモートワークができるという機運が高まってきた瞬間に、頭の中にスッと"尾道”ってワードが降りてきて。」
照れ笑いをする瞳の奥に、自信のようなものが伺えた。

「インターネットで調べたら、東京の有楽町に広島県の移住相談窓口(※2)があることが分かりました。
尾道が頭に浮かんでから数日後にはそこに行って話をすると、ちょうど今参加できる移住ツアーがありますよと教えていただいて、それに参加することにしました。」

移住ツアーは2泊3日、交通費と宿泊費の一部 を行政が負担してくれるというもので、プログラムとして設定されている説明会や交流会以外は自由にまちを巡ってもいいというものだった。

「(現在仕事場として使っている)オノミチシェアを見に行ったり、あとはツアーの自由時間に不動産会社をめぐるスケジュールを組み込んで、現地で見つけた不動産会社に飛び入り訪問したりしました。向島の2DKで家賃3万5,000円という超優良物件を見つけて、年末に移住してからの2ヶ月間そこで暮らしました。」

※2 ひろしま暮らしサポートセンター:東京都千代田区有楽町の東京交通会館8階にある広島県の移住相談窓口。当センター経由で尾道市に移住した人も多数。

困った時に相談できる場所がある

11月の移住ツアーを終えて、年末には移住というフットワークの軽さに驚かされつつも、移住してすぐの話を聞くと、やはりうまくいくことばかりではなかったようだ。

「想定外だったのは、向島が思ったより一人で暮らすには寂しいというか...。2ヶ月経ったタイミングで、いろいろな方に相談をして。結果的にいま暮らしているゲストハウスを紹介してもらって移り住むことにしました。」

この時大きな支えになったのが、先輩移住者の存在だったと言う山科さん。特に仕事場にしているシェアオフィス、オノミチシェアを管理している後藤さん(※3)や、山科さんと同じくリモートで働いているクリエイターさんが相談相手になってくれたのだそう。

「移住したばかりの頃はびくびくしてうまく動けない、なんてことを僕も経験しました。それでも自分から、ちょっと今住居で悩んでいて...とか、尾道寂しくないですか?とか話しかけると、とても親切に答えてくれて。」

移住ツアーがきっかけで知り合った市役所の人とも個人的に連絡を取り合っているのだとか。地元でおすすめの喫茶店や絶景スポットを教えてもらい、プライベートも充実させている。

「良くも悪くも干渉し合わないからわないから、僕みたいに自分で何かしたいって思っている人は、放っておいてもらえる分すごく過ごしやすいと思います。逆に、自分から伝えないと応じてくれない人も多いかな?という印象もあるので、自分から話しかけることをおすすめします。こちらから話しかけたら、とても丁寧に返してくれる人ばかりですよ。」

※3 後藤 峻(ごとう たかし)さん:ONOMICHI SHAREの施設運営、利用者のビジネス相談・プロジェクト支援などをおこなう、利用者と地域の人との間に「つながり」を生むコンシェルジュ。京都市出身で、大阪の印刷会社勤務を経て2016年に尾道市に移住。

これからやりたいことについて

小説家になる夢の実現のために、居を変え、職を変え、居心地の良い場所を少しずつ作り上げてきた山科さんにこれからの展望を聞いた。

「来年あたりに、尾道を舞台にした作品を書きたいと思っています。僕が書いているのは純文学ですが、舞台はこれまでに住んだところを書いていて。これまでは移住したてで身の回りのことで手一杯だったのですが、移住して半年経って、ふと周りを見渡したら尾道ってとてもいいところだなと気づいて。歴史にもまち並みにも自然と惹かれてきているので、尾道を舞台に青春群像劇とかを書いてみたいですね。」

移住を考えている人へ

「尾道をひと言で表すなら、みんなの第二の故郷。来た瞬間帰ってきた!と思えるような場所だと思います。」

山科さんはしばらく悩んでから、こう付け足した。

「尾道には、大都会のような華やかさはないかもしれないけれど、オノミチシェアという人が集まる拠点や仕事場があるし、役所に行けば親身に相談に乗ってくれる人もいます。地域の人が集う喫茶店やお店、それからゲストハウスやシェアハウスも結構あって。環境は整っているかなと思います。あとは、自分が積極的になって周りに相談していけば、自然と住みよくなると思います。」

都会と地方、両方の良し悪しを知ったうえで、今の自分に合った場所を選んできた山科さん。うまくいくときもいかないときも、すぐに諦めてしまうのではなく、小さな行動を起こしていくことの大切さを教えてくれた。彼が小説家になる人生の物語は、まだはじまったばかりだ。

(取材・文:池上沙衣(尾道市地域おこし協力隊))