創業430年超の老舗企業に転職。食と縁がつないだ新たな生活

静まった梅雨が再訪したかのような雨が降る、9月頭のある日。

普段観光客でにぎわう尾道本通り商店街を東向きに抜けた先にある、株式会社尾道造酢へ向かった。

ここは創業430年以上の老舗企業で、事務所の前にはさまざまなお酢のラベルがついた瓶がショーケースに並んでいる。なかの部屋で工場長さんとお話をして待つと、奥から作業着を着た若い男性が現れた。今回お話を伺う松田さんだ。

あんこづくりからお酢づくりへ

松田さんは去年末に千葉県から移住し、この会社で働いている。聞くと、千葉県でも7年半食品会社で務めていたという。

「まだ1年経っていないので、できるだけ早く仕事を覚えたいと思いながら毎日務めさせていただいています。」

言葉を丁寧に選んで話しているのが印象的で、その話し方から、いい加減なことをしない人柄が伺える。まだ20代とは思えない落ち着きすら感じる。

そんな松田さんが饒舌になるポイントがあった。それは、食品づくりについての話をしたとき。

「食品会社は面白いところがたくさんあるんです。」

千葉県では、大手製菓メーカーや個人店向けに、あんこを製造販売する地元の食品会社で働いていた。

いままでつくってきたものとは違っても、新しくお酢という商品を勉強してみたい。そう思ったことが、尾道造酢での就職を決めた理由のひとつなのだという。

一人旅で偶然出会った尾道

7年以上務めた地元の会社から、尾道への移住と転職。

きっかけは、前職を辞めたことと、以前から好んでしていた一人旅だった。

「以前の職場は暦通りの休みがなかったので、友達とは基本予定が合わなくて。それでも休みを楽しもうとはじめたのが、一人旅でした。」

はじめは一人で出かけるなんて寂しいのではないか、とも思ったという松田さん。

しかし最初に出かけた大阪で、地元のひとの優しさに触れてその考えが変わったのだそう。

「(地元と)ちょっと距離を置いたら、こんなに雰囲気が違うんだ。」

一人旅の味をしめると、徐々に行く場所が増えていった。

そしてあるとき、広島市から大阪観光へ向かう道すがら、一日半だけ立ち寄ったのが尾道だった。

「その日は天気もよかったので千光寺に登りました。このとき山頂から見たまちなみの景色がとても印象に残って。他ではなかなかないんじゃないかと思いました。」

それから何度も尾道を訪れた。しばらく間をあけて再訪した居酒屋でお店のひとが顔を覚えていてくれたり、初対面でも話してくれるひとがいたりしたことが楽しかったという。

ゲストハウスで得たご縁

ゲストハウスが好きだという松田さん。

尾道で、尾道造酢のお酢を使った料理を提供するお店と一体型のゲストハウスに泊まったことがあった。

そのお店で昼食をとっていると、なんと店を経営する会社の社長とその場で出会い、夜もここで食事をしないかと誘われた。

夜に再会すると、そこには社長の友人で尾道造酢の執行役員をしている方がいたそうだ。

実はそのとき、松田さんは前職を辞めたタイミングで尾道に来ていた。

「仕事を辞めて数日後のことで。あんことお酢って商品としては全然違うじゃないですか。それでも、ゆくゆく活かせる経験もあるだろうし、移住をするならうちで働いてみませんかと誘っていただいて。そのまま会社のなかも見学させていただいて。」

それでもすぐには返事をせずに一度地元に戻り、東北など他の地域も見て回った。

「尾道に久々に行ったら、自分の心のなかにあった"移住してもいいかな"という気持ちが出てきて。一人暮らしも経験として必要だと思っていたし、かといって地元では生活に変化が生まれないのではないかと思って。」

尾道から戻って1~2ヶ月は調べ物などをして過ごした。そして、他にもいい場所はあったものの、印象に残った尾道に移住することに決めた。

移住後に感じたギャップ

ここまで聞くと、いいタイミングで移住先と仕事まで決まり、順風満帆に思える。

しかし、現実はいいことばかりではなかった。

松田さんは、特に観光と実際の暮らしのギャップに悩まされたそうだ。

「旅行者のときは一人でお店に入って初対面のひとと仲良くなれましたが、移住後は、周りのひとが他のひとと来ているなか一人でお店に入りづらくて…。」

一人でお店に入りづらい感覚は、共感するひとも多いのではないだろうか。

「いまの時代友達とSNSなどで連絡を取り合うことはいつでもできますが、対面して話す良さもある。移住したことによって、友達や家族のありがたみがわかりました。」

いままでの生活と変わることはある程度予想できても、実際に体験してみたら大変に感じることはある。

トイレひとつとっても、くみ取り式トイレ(いわゆるぼっとんトイレ)が多い尾道では、都会で当たり前な水洗式トイレを選べば、自然と住める場所が限られてしまう。

都会へのアクセスも、松田さんの場合、電車に乗れば数十分で東京に着いた地元とは違う。

それでも見方を変えて、ある意味なかなか体験できない状況にいると捉えて過ごしているという。

「都会のビルが並んで平坦な景色より、こっちの海があって、山があって、森があって…という景色はゆとりがあるなと思います。無意識に気分が良くなるというか。道も地元ほど混まないですし。そこは尾道に来てよかったなと思います。」

新しい試みに携わりたい

地元での生活と尾道での生活は一長一短だと笑う。

そんな松田さんに尾道での食品づくりやこれからしてみたいことについて聞いてみた。

「前の会社はメーカーさんにあんこを提供する形でやっていて、お客さんの反応が全然見えなかったんです。ここでは近隣の飲食店さんとかが料理に使っているので、お客さんの評価や反応をすごく感じやすいのがいいですね。」

「創業400年ってすごいことだと思うんです。新しい製品やアイディアがどんどん取り入れられているので、自分も携われるようになれたらいいと思いますし、歴史があることを発信していけたらとも思います。」

移住者さんへのメッセージ

つづけて、移住者さんへのメッセージも伺った。

「観光と移住では見える景色が違うことは伝えたいです。あとは、家族や友達といった他のひとの存在は大きいことなので、移住をするとそのひとたちとの縁を少し遠ざけることになるリスクは考えたほうがいいと思います。」

一息おいて、こう続ける。

「移住をしたいひとは多いと思いますし、しないとわからないことも多いので、少しでもしたいのであれば、思い切って行動に移してみるのも僕はすごくいいことだと思います。」

早くから移住に踏み切ったからこそ感じる、地方暮らしのいいところと難しいところがある。どちらも、やってみなければわからないままで、経験できなかったことだ。

食品づくりへの想いをそのままに、松田さんがこの地で少しずつ根を下ろしていくことに、陰ながらエールを贈りたい。