小さなことの積み重ねで、故郷の未来をつくりたい

尾道駅のある市街地と、しまなみ海道でつながる因島(いんのしま)。島の南部にある土生港(はぶこう)には、情緒あふれる土生商店街がある。その一角に、木とコンクリートを組み合わせた都会的な外観の建物が、周囲と馴染みながら佇んでいる。

因島出身の若者がつくった、1日1組限定の宿「HUB INN(ハブイン)」だ。

部屋には因島出身のバンドの歌詞や曲のタイトル、MVから着想を得た仕掛けがたくさん潜んでいる。窓辺に置かれたサボテンの鉢など、部屋に馴染む仕掛けのため一般客も普通の宿として利用できるのが魅力だ。

「自分が大好きなバンドのファンに喜んでもらえる宿をつくるプランを話すと、周囲には笑われました。でも、笑われるくらい誰にも真似できないことじゃないと、面白くないと思ったんです。」

宿主である松本さんはそう振り返る。

松本さんは因島出身。18歳まで島で過ごし、大学から島を出て卒業後も島外で働いていた。因島に戻る前は、東京のベンチャー企業にいたという。

ポルノグラフィティがくれたきっかけ

「もともと因島が嫌いだったんです。田舎だし、閉塞感があるし、すぐ噂されるし。高校生のときから出たいなと思って島外の高校に通って。大学から京都に行きました。」

しかし島の外に出てみると、自分の育った環境がとても恵まれていたことに気づいたという。

「たまに帰省をしたときに、こんなに海ってきれいだったかな?ひとってこんなに温かかったっけ?と思ったりして。」

とはいえ帰るほどのきっかけもなく、帰っても働くところがないだろうと思いそのまま過ごしていた。そんな松本さんの背中を押したのは、2018年に尾道のびんご運動公園で開催された同郷の先輩ポルノグラフィティのライブだった。

ライブ翌日、ファンで賑わう因島。ところが、松本さんの目に止まったのは、人混みよりも島の現状だったそうだ。いま何かをしないと、10年後にはもっと廃れてしまう…。

「故郷の先輩たちがこれだけ良いと言ってくれる場所で、自分も何かしたい。」

帰りの新幹線でそう決心した。このタイミングを逃してしまったら、きっとやらないのではないか。翌日、当時勤めていた会社に辞表を出した。

「やるなら最初がいいし、ダメだったら東京帰りゃいいやってくらいに考えていました。」

清掃仕事と物件探し

因島に帰ってからまずはじめたのは、仕事探し。やることを決めてはいなかったが、ぼんやりと興味があった宿泊業のなかから、求人情報誌を開いて見つけた「清掃スタッフ募集」の求人に早速応募した。

尾道本通り商店街のオフィスから、線路の向こう側に広がる斜面地に建つ2つの宿に清掃スタッフとして通った。アルバイトから途中で正社員になり、合計1年半清掃スタッフとして働いた。

もちろん、1年半の間清掃だけをしていたのではなく、その間に自分がつくりたい宿のイメージを膨らませ、事業計画をつくり、物件探しにも時間を割いた。

「因島で物件を探していたのですが、本当に見つからなくて…。田舎ってそんなに物件情報が出ていないんですよ。ひとづてに聞くか、そのひとが持っている物件を見せてもらって貸してもらうかなんです。」

はじめは友達に声をかけて物件を探し、次に飛び込み営業のようにお店に入り「すみません、こういうことをやりたいので物件を見せていただけませんか?」と言って周ったという。

まちのひととの信頼関係

「まちのひとたちって、結構“本気度”を見ているんです。プランに具体性があるのか、地域の競合との兼ね合いは問題ないのかとか。尾道の市街地だと観光客が多いので同じ業種の店でも問題ないのですが、因島だとお客さんの取り合いのようになってしまうので。」

だからこそ、地域のひとと丁寧に話をすることが大切なのだという。清掃スタッフをする傍ら、物件を探していた因島の土生商店街にあるお店に何度も通い、信頼関係づくりをしていったそうだ。

そうするうちに、商店街のあるお店の店主が、自分の持っている物件を紹介してくれた。見ていたなかで唯一の、鉄筋コンクリートの3階建。四角い建物で工事がしやすいだろうと思い、ここに決めた。

「因島で商売をするのは、僕も最初は怖かったんです。流行るのかな、ひとが来るのかな、とか。準備している間に新型コロナウイルスも流行りはじめて。」

それでもやりたい。ならばどうするか?そう考えて、費用をできるだけ抑えるために自分でできるところは全部DIYをすることにした。宿の設計は、清掃スタッフをしていた宿の設計者にお願いした。

事前のファンづくり

デザインができあがると、必要な大体の経費がわかった。宿をつくる資金は、自己資金に加えて、土生商店街の補助金と、政策金融公庫からの融資、それからクラウドファンディングで調達することにした。

「クラウドファンディングは慣れていなかったですし、ひとにお金を出してくださいって言うのってとても勇気がいるんです。夜中になるとプレッシャーからお腹が痛くなって、何度も目が覚める日々が続きました…。」

それでもできたのは、松本さんには背中を押してくれる存在がたくさんいたからだ。

「東京にいるときからTwitterとnoteをはじめて。2年くらいかけて自分なりの言葉で想いを発信していると、SNSで応援してくれるひとが自然と増えていったんです。Facebookでも、因島関係のアカウントに情報を流してもらったり、そういうアカウントをフォローしている因島出身の社長さんなどに直接メッセージを送ったりしました。」

前もって積み重ねていたことのおかげで、クラウドファンディングも公開2週間で目標金額を達成。融資も1~2週間で受けることができた。

「SNSをフォローしてくれたのは、ほとんどポルノグラフィティのファンの方です。いまも泊まりに来てくださったり、通販で買物をしてくださったりしていますよ。」

ただ、目の前のことを積み重ねていきたい

「因島ってあまり滞在型じゃないんです。でも実は星空がきれいだったり、朝日が気持ちよかったり。1日を通して因島を知ってもらえたら、もっと好きになってもらえるんじゃないかなと思って宿をつくったんです。」

宿をつくることで、地域にある飲食店の足しにもなればと考えているという。地域に支えられ、応援される宿づくりをされてきた松本さんが今後やりたいことを聞いてみた。

「高い目標はなくて。1個1個、強い個人店を因島に増やしていくことが大切だと思っているので、まずは自分がはじめたこの場所を軌道にのせること。それからもう1つ増やして、というような地道な活動を続けていきたいと思います。」

移住者へのメッセージ

「人生かけて来るとかじゃなくて、もっと気軽に1年くらい住んでみようかなって感じで来たらいいと思います。少しずつ友達を増やしていって、居心地のいい場所にしていってほしいです。その土壌は整っていると思いますよ。」

雨垂れ石を穿(うが)つ。松本さんの話を聞いていると、そんな言葉が頭をよぎった。松本さんが落とす一雫で、因島がどのように変わっていくのか。楽しみでならない。