「仕事帰りはそのへんの海に寄り道して帰っています。」
因島で暮らしはじめて、もうすぐ2年。齊藤奈美子さんの休み時間はいつも忙しい。
秋までは、休日や仕事帰りに釣りをするか、車に乗って近隣の島々に渡りロードバイクで走り回る。月2回はしまなみ海道を車で走って四国まで行き、山奥で自転車に乗って、温泉に入って日帰りする。
「因島に来て知り合いが多くなりました。関東出身ですが、友達はこっちの方が多いくらいです。因島に来てから暇なときがないんですよ。」
広島県尾道市にある因島(いんのしま)。古くは造船業で栄え、時代の風を受け何年も浮き沈みを繰り返しながら、現在もこの島の一大産業となっている。昔に量は及ばすとも、日本の造船業を支えて続けている。
齊藤さんが因島に来てから働いているのも、島にある造船会社のひとつだ。
「私が働く岡本製作所は、造船の他に、島内の畑で野菜を育てて全国各地に販売しています。社内は工場チームと野菜チームに分かれていて、私は工場を担当しています。」
島の多くの企業のように、基本は週6日勤務の日曜休み。なかなかハードに聞こえるが、冒頭のように仕事帰りや休日に遊ぶ時間は十分あるようだ。
「普段は事務と現場の手伝いの両方をしています。事務では、部品管理や出退勤管理、買い物など幅広い業務をしています。現場の手伝いでは、船のパーツを切断・溶接するときに使う機械があるのですが、その機械を動かすデータづくりをしています。データをつくるために、CADというソフトをこの会社に来てから覚えました。」
職場の雰囲気もよく、インタビューの途中、普段一緒に仕事をするという工場長が登場したときも終始仲良さそうに話していたのが印象的だった。
齊藤さんが因島に移住したのは2020年4月。それまでは埼玉で暮らし、東京・渋谷にある会社で派遣社員として働いていた。因島には移住前の2019年9月から毎月通っていたという。
「中学生のときから因島出身のバンド・ポルノグラフィティの大ファンで。因島に通いはじめたのは、個人的にいろいろなことがあって、久しぶりに自由の身になったときでした。好きなことをしようと思って、ファンなら誰もが憧れる因島旅行に行きました。」
実は20歳の頃、母親と一度因島を訪れたことがあった齊藤さん。
当時は十分な情報がなく、「ひとが居ない」という印象しか残らなかったそうだ。しかし、約10年の時を経て再び訪れた因島は、大きく違って見えたという。
「一人旅をしたら、島のひとたちが本当にいいひとたちで癒やされて。それで毎月行こうと決めたんです。」
因島では毎年12月になると、ウォーキング大会が開催される。斎藤さんも2019年12月に、ポルノつながりで仲良くなった橋本夫妻(前回記事)と参加した。
そのとき夫妻に移住の相談をしたことがきっかけで、一気にことが動きはじめる。
夫妻は、移住をするときにサポートをしてくれたという株式会社PLUSの酒井さんを斎藤さんに紹介し、翌日酒井さんと会う約束まで取り付けてくれた。
「酒井さんにお会いしたら、何月に退職して何月に移住するかの計画をすぐに立ててくださって。コロナの影響で少し来る時期が早まったことを除けば、プラン通りに移住できました。」
移住する2ヶ月前、酒井さんの紹介で岡本製作所に会社見学に行った。
「後から聞いた話だと、そのときちょうど事務員が欠員していて、見学に行ったときにはすでに採用が決まっていたそうです。」
こうしてハローワークに通うこともなく、仕事もスムーズに決まった。逆に因島に来てから苦労はあったのだろうか。斎藤さんに尋ねると、しばらく考えて「家ですね」と返ってきた。
「因島に移住したときは、酒井さんの会社のシェアハウスに住んでいました。3ヶ月しか住めないところで、すぐに家を探しました。でも、因島って単身者用のアパートが少なくて。」
結局島のひとに手伝ってもらって、いま住んでいるアパートを見つけた。
「島では不動産もそこまで物件情報をもっていないので、家を探すなら人づてが一番早いです。島のひとは人見知りしないので、相談したら全力で助けてくれますよ。」
しかし、どのようにして相談できる島の知り合いを増やせばいいのだろうか。
「わたしは先に人脈をつくろうと思って、移住前からSNSで因島に住んでいるひとと積極的につながりました。因島に住むポルノファンの方たちとは基本的にTwitter経由で知り合いました。」
他にも、SNSの検索で“因島”を検索して出てきたひとともつながり、徐々に因島の知り合いを増やしていったという。
「移住後は、職場が島の方ばかりなので、そのつながりで知り合いが増えていきました。因島に移住したポルノファン仲間で集まって遊びに行くこともあります。それから、甘いもの好きで集まって休日にお菓子の食べ歩きをするスイーツ部もつくりました。」
「移住して苦労したことはあまりないですが、他は車と橋代、方言くらいでしょうか。」
関東にいた頃はペーパードライバーだった斎藤さんも、島では車が欠かせない。また、尾道駅のある市街地に行くには橋を渡る必要があるが、橋代が意外とかかる。それでも、買い物ならネットで注文して早ければ翌日に着くので、大した苦労ではないそうだ。
たまに広島と因島の方言で話す職場のひとの話していることが分からないことがあるそうだが、「方言をマスターしたい」と周りのひとに意味を聞いて楽しんでいるという。
苦労と思えることも、捉え方を変えると新たな楽しみと呼べるのかもしれない。何事も楽しみ上手な斎藤さんに、島での楽しみを伺った。
「島を自転車で回って、撮った写真をInstagramにあげています。文章は書けないけれど、写真を通してしまなみの良さを自分なりに伝えています。」
毎日違う空、違う夕日。自転車や車を運転していて「あ、いまだ!」と思ったときは、停めて写真を撮る。
「島に来てからチャレンジすることが多くなりました。島はいいですね、海があるし。毎日自然からの刺激があります。今後は山の方でも写真を撮っていきたいです。」
「移住はただの引っ越しです。自分の経験値を上げるというか、人生プランに移住があってもいいかもしれません。帰りたいと思えば気軽に帰ればいいんです。」
移住後の生活を、彼女のように満喫するにはどうすればいいのだろうか。
「とりあえず全力で楽しむこと。無理をせず自然体でいること。あとは、ちゃんと笑うこと。仕事は頑張るけれど、終わったら自分の時間。ここに来てから、小学生のように自然のなかで遊んでいますよ。」
踏み出すときは軽やかに、踏み出したら誰よりも楽しむ。心惹かれるものを求める、齊藤さんはどこまでも自然体だ。